2010年7月31日土曜日

渋谷、宮益坂下のフクロウ広場⑤

今回の選挙に関連して300時間ぐらいは街頭演説をしたのではないかと思います。その6、7割はフクロウ広場です。ご迷惑をおかけした方々も、おられたことを、お詫びいたします。お許しください。50日ばかりで100万人のあきつ新党の支持者が現れると信じ、フクロウ広場一点に絞込み、後は、情報社会を信じる以外に方法はないと考えました。ところが、、、、。菅総理の支持率は急上昇、ここで、民主党は一つ目の敗因を作ったと思います。世論を見て方針を変える。しかも功利的に見えてします。投票日を、ころころと、変えてしまう。7月11日、7月25日、ここでぶれてしまう。中心がないのでぶれてしまう。いかなる中心か?『しんがない。』人気が落ちないうちに、支持率が高いうちに選挙をしてします。こんな優先順位の決定基準では、国を任せらない。多くの人が思ったに違いない。そのためには、いくつもの重要な事柄は放棄または後回しにする。ことごとく、党利、党略と思われてしまった。総理の自信の無さが出たのかもしれない。、、そんなことは別にして、後回しになったうちのひとつが、インターネットの解禁の、後回しです。これには、戸惑ってしまった。

渋谷、宮益坂下のフクロウ広場④

異変は起こりました。鳩山総理の辞任です。しかも小沢幹事長も同時に辞任。選挙の直前、国民の不満は一機に消え去りました。民主党への期待は再びよみがえりました。菅総理に誕生とともに、世論はこの新しい政権を支持しました。なんと、いい加減なものでしょうか。なんと正直なものでしょうか。新党の立党、参議院選挙への立候補、そして連日の数時間の街頭演説を行っている緊迫した私には、この劇的な変化は、強烈な衝撃でした。民主主義、国民選挙の重大性を垣間見た、大げさにはなりますがそのように感じました。マスコミの対応にも驚きました。世論を『操作する。』、そんなものではない。世論と『ダンスを踊る。』。だから、行儀をわきまえている。常識をキチンと押さえている。曲の選曲は『気に入られるために、きわめて注意深い。』。世論とマスコミ側との、駆け引き、だまし合い、詐欺師のテクニック?恋のテクニック?いずれにしても、迎合、警告、先導、が入り混じっていて、本質や因果は、計算されているかのように『ダンスを踊る。』かのごとく見えました。フクロウ広場の、フクロウ君は、どのようにみていたのだろうか?異変にもかかわらず、街頭演説はつづけます。テーマは、おおきく変えました。変わりました。

2010年7月29日木曜日

渋谷、宮益坂下のフクロウ広場③

この時点で、投票日まで54日ですが、本当に当選すると思っていました。他の人がなんと思おうが、当選すると信じていました。示せる、根拠はありません。東京都民1000万人、そのうち100万人は、あきつ新党に投票する、と、信じて、動き始めました。50日もあれば、この情報社会、きっとあきつ新党の考えが伝わり、を理解し支持してくれるに違いないと信じていました。そしてその情報発信は、渋谷、宮益下坂のフクロウ広場からが最適、最高と確信していました。今、思えば、おろかで、不思議な確信です。フクロウの力かもしれません。とにかく勝利を信じて活動していました。情報社会を信じていたのです。インターネットこそが、その道具だと思っていました。そして、小沢幹事長、鳩山総理を泳がせている時代の政治を都民が許すわけがないと思っていました。

渋谷、宮益坂下のフクロウ広場②

全国比例代表をあきらめ、いかがすべきかの躊躇は、ありました。東京は5人が当選する。ならば、可能性は0ではない。勝手な推理は進み、東京都選挙区選挙に出る決意を固めました。東京都の説明会に行き、最終的な立候補のための可能性を確認しました。新党を立党する手続きも簡単ですが、立候補の資格もきわめて簡易なものです。日本国民であり、供託金が出せ、年齢を超えていれば、誰でも立候補できます。問題は供託金だけでした。その時点では、充分ではありませんでした。友人、支援者に期待するしかありません。何とかなると、信じるだけです。5月19日に東京の数少ない知人の一人に、夕食をともにし、といってもご馳走になったのですが、とにかく政治に進むと話しました。その前に、あの渋谷、宮益坂のフクロウ広場で、街頭演説、を数時間連続して、心を定めて、食事に臨んでいました。渋谷、宮益坂のフクロウは、勇気を与えてくれたように思いました。フクロウは知恵の象徴だから、きっと知恵は授かるに違いない信じました。知人は半ばあきれておられましたが、「まあ、わかったよ。」といってくれました。後は、お金だけになりました。この件は、先に報告しましたように、友人、知人、支援者が、努力して形はできました。  つづく、、、、。

渋谷、宮益坂下のフクロウ広場①

全国比例代表を目指していたのが不可能になりましたが、その前に街頭演説をしていたのは、大阪です。御堂筋と中央通りの交差点で行っていました。続いて横浜で行う許可を取っていました。せっかくの許可を無駄にしないように、横浜で街頭演説をさせていただきました。その時は、すでに全国比例代表は、あきらめていました。5月11日、5月12日の二日間でした。関東での街頭演説は初めての経験ですが、すぐに緊張はほぐれました。関西弁はあまり気にせずにすすめてもいいだろうと思いました。その、二日間を終えて、5月13日からは、東京都で、毎日街頭演説をすることにいたしました。渋谷の宮益坂のフクロウに出会うまで、6日かかります。その間、池袋、上野、日本橋、五反田、などなどで、街頭演説をして歩きました。すべて、歩いて目的地まで行きます。出発は、八丁堀でした。池袋は、山手線を使いました。なかなか、骨の折れる徒歩競技でした。5月18日に渋谷、ハチ公前広場で、街頭演説をしました。その帰りに、フクロウを発見、宮益坂下の小さな広場で出会いました。  つづく、、、。

2010年7月28日水曜日

選挙を振り返り④

東京都の配布してくれる参議院選挙選挙公報の内容の決定と提出、、NHKテレビ、TBSテレビ、ラジオなどの、映像録画の収録、選挙が始まるまで、本当にいろいろなことを経験できました。まったくの未経験を選挙管理委員会、M社さんの指導と協力で、選挙にたどり着いたといってもいいくらいです。その間、時間があれば、山手線の主要な駅、上野、池袋、新宿、渋谷、目黒、五反田、田町、浜松町、新橋、有楽町で、街頭演説をさせていただきました。ハンドマイクをもち、折りたたみ台を拡げその上に立ち、のぼりを立てて、街頭演説をして回りました。投票依頼はできません。街頭であきつ新党の考えを演説するしかありません。ほとんど歩いて回りました。移動のために、歩く時間が長く話す時間が、10パーセントぐらいでした。いよいよ、6月24日が近づいたころ、選挙カーのないままで、さすがに、歩きだけでは、まずいなあと思い、自転車に乗って、選挙活動をすることに決めました。友人のZさんのアドバイスもありました。O君の協力で、三輪自転車を探してもらいました。すぐに手に入れることができず、ネットで購入することになり、選挙開始二日目25日に入手しました。当然、一日目は、徒歩、ハンドマイク、のぼり、選挙七つ道具、で、一人で街頭演説に向かいました。とても昔のように感じますが、戦闘意欲満点だったと思います。  つづく、、、、。

選挙を振り返り③

選挙が、始まるまでは、インターネットが使えるとあって、若い新しい友人たちが、いろいろと協力してくれました。動画配信、ツイッター、ホームページなどの強化をしてくれました。ありがとうございます。選挙までの手続きはなかなか大変です。初めてのこと、しかもほとんど一人で進めなければならなかった。3人の友人がところどころ重点的なところはサポートしてくれました。助かりました。多くは広報をお願いしたM社のH氏が助けてくれました。投票まであと6日のときに、ポスターが出来上がり、アルバイトの方と、ボランティアの方が、貼り歩いてくれました。一万数千箇所ありますが、資金、能力に限りがあり、2000枚は貼れたでしょうか。幾枚かは、雨、風ではがれるハプニングがあり、選挙管理委員会から、お知らせがあり、貼りなおしにいくことも起こりました。とにかく投票日には1500枚は、貼れていたと思います。  つづく、、、

2010年7月25日日曜日

選挙を振り返り②

3月15日に、あきつ新党を立党し、日本の政治に打って出ることを決意しました。参議院選の全国区で出馬を計画しましたが、最低10名が立候補しなければならないこと、各々、ひとりが600万円の供託金が必要であること故、10人で、6000万円が必要であることから、東京都からデビューすることにしました。インターネットが解禁される前提でスタートしましたが、管総理の出現、高人気のうちに選挙を行うという弱気な管内閣は、インターネットを解禁しないままで、しかも7月25日を宣言していながら、7月11日で挙行するという選択により、幾分、目算は外れました。東京都であれば、供託金300万、何とかなるだろうと、締め切り数日前まで、事務局がかき集めの努力を、してくれました。まさに、やっとの、思いで、300万円を都合してくれました。残高は、数万円、少しづつ個人献金をしてくださる方が、出てきました。、、つづく。

選挙を振り返り①

まず、1816人の投票していただいた方々に感謝申しあげます。本当にありがとうございました。またその後ろでたくさんの方々が応援いただいたと思います。ありがとうございました。1816人の方々のおかげであきつ新党は、最高のスタートをさせていただきました。今後とも、日本のために、全力を尽くします。よろしくお願いいたします。ご報告がとっても遅れましたことお詫びいたします。