2012年1月28日土曜日
何がおきているのか?
国民新党、亀井氏は、破れかぶれの政界乱しに打って出ざるを得なかった。機をみて敏、隙間にテコを差し入れることで生き延びてきた氏は、平沼氏を利用した。石原氏、平沼氏の保守本流意識に火をつけて、政界シャッフルを持ちかけ、石原氏の憂国の志を揺さぶった。人気の橋下氏が、今次選挙において、大阪護国神社に参拝されていることから、憂国の情は、わかろうというものであるから上手に利用したのかとうがってしまう。しかし、今日あきらかになったようだが、みんなの党の合流はいかなる伏線によるのか?さらに、民主党、自民党落選組が、合流をして70人、80人にならんとしているそうだ。石原氏は何をもって結党の志とするのか?そもそも、亀井氏の話に乗ったことからが、あやまりではなかろうか。憂国の政党には最もふさわしくないのが氏ではなかろうか?マスコミに追い込まれてさすがの石原氏も軸を失うことがあれば、日本はますます、奈落の底を味わうことになりかねない。はっきりしない、自民党、ごった煮の民主党、時代遅れの共産党、公明党は別物、そして『みんなの党が合流した第3軸石原新党』いったいなにがおきているのか?国民の選択は可能なのか?まさに、全政党が『呉越同舟、玉石混交』国策は自利をもってのみなされる。、、、、、わが国民には、憂国の徒も多くいるはずです。どうか石原氏が、たとえ20人、30人であろうとも、真の憂国の志ある方々と新党を立ち上げられんことを祈ります。靖国神社参拝。軍隊の復興。小さな政府。法人税減税。消費税増税。国際貢献。なんとか、よろしくお願いしたいものです。そのことを踏まえたうえでの同志の結集をされたならば必勝だと思う。そして日本に新しい軸が生まれる。いま、日本に必要なことは、熱くなって、己を捨てて、人のために働こうという人材の結集である。自分の立場に利益をもたらすがゆえにその政党、政治家を選ばんとする勢力に立ち向かう勢力の結集である。国家を優先する政党、それが、石原新党であってほしい。あきつ新党は、そうします。
石原、亀井、平沼新党構想について
無いよりは、あった方がいい保守新党だが、またぞろ選挙のための合同となるだろう。石原知事は党首にはならないと思うが、もしなったらおしまいです。有終の美を飾ることは無いと思う。そもそも、亀井氏に誘いを受けて乗り出すようなら、出ていかないほうがいい。中途半端な選択です。靖国神社の参拝を軸にするならば意味が違ってくる。自民党と連立して靖国神社に参拝する総理を選び真の保守を創るならば、自民党からも出て行く人は出て行き、民主党からも入ってくる人は入れる。これならば、様子が違う。日本の新しい出発となるだろう。石原氏はその一線をもって新党を作るべきだろう。つぎの軸は小さな政府か、おおきな政府かが、重要です。楽しみな未来です。あきつ新党は、小なりとも独自に展開します。
2012年1月26日木曜日
施政方針演説をよんで、
『アジア太平洋への玄関口として大きな潜在力を秘め、本土復帰から40周年を迎える沖縄、、』千キロ離れた島を玄関口といってのける、リップサービスなのか、、玄関口なる言葉をしらないのか?、、はたまたいかに、太平洋を理解すべきか? この程度の思考の深さならば、他の内容が、大きな意味を持っていたとしても、真の意味を深めないままに、政治をすすめていると思わざるをえない。日本の危機についても、同様ならば、誠にゆゆしきことです。
180回国会、施政方針演説を読んで、
悲しいかな、まず国語になっていない。そして、一国の首相というよりは一国会議員レベルの発想のように思える。国を支える気概、知力を感じられない。情けない。一体、民主党はどのような判断で野田さんを党首に選んだのか?おそろしい無責任ぶりではなかろうか?その、一番は、『まず カイ より始めます。』とのフレーズ。こんなばかな使い方は、高校生でもするものは少ない。つまらぬ一事をもって責めることは恥ずかしいことだが、ここまでいくと、あきれるはかない。わたしも、大したことはないが、ことばは、理解した言葉を使うべきだろう。まして、年初の施政方針演説である。 野党もまた、同じ、、、。
2012年1月22日日曜日
戦後の教育について
戦後の教育による影響を考えるとき、1950年、1960年、1970年、1980年、1990年、2000年、2010年と列べ、各自の小学校、中学校の時期が、どこに当たるのか?1948年生まれの私の場合は1952年から1961年の9年である。1960年安保が、大きく影響を与えている。ベトナム戦争の時は高校、大学生、70年安保もその前後となる。朝鮮戦争は、1950年6月から1953年7月までです。日本は1945年8月に終戦1952年GHQから、独立。今から思えば反米が誰によってリードされてきたのかは、極めて重要です。共産主義者と国粋主義者の結果的合作とも言えないこともありません。ここでは、朝鮮戦争こそ、しっかりとらえるべき戦後の出来事で、数百万人死者が出ています。武器が近代化されたことが大きな原因です。あの広島の不幸の10倍以上の不幸が、3年で起きています。朝鮮戦争はあきらかに共産主義とそれ以外の国(自由主義、民主主義、資本主義)、との戦いである。日本の戦後教育を考えるとき、いままた現在の教育を考えるとき、深層海流のごとくながれる思想、また無意識に近いほどいに染み込んでしまっている「常識観」を注意深く見る必要があり、戦後教育の60年を徹底研究、徹底反省しなければならない。教育委員会とは、何か?1947年にできた占領下に造られた法律である。日本の教育を振り返るにあたり、日教組の問題以前に、教育委員会を徹底的に振りかえる必要があると思う。この二つの組織の底流に流れるものが、今日の日本の深層に流れる『思想、理念、心情、情緒、こころの動き、行動の規範』となっている。この間、世界はどのようであったのか、日本はどのようであったのか。たとえば、韓国も、北朝鮮も、朝鮮戦争とベトナム戦争では、共産勢力と自由主義勢力に分かれて血を流している。日本は流していない。朝鮮戦争特需ほどではないものの血を流さないで繁栄を謳歌している。しかし、この30年間に大人たちが復興に命がけに働いていたときに、日本の子どもたちは、中国、ソ連、北朝鮮と、韓国アメリカ、ヨーロッパの思想的戦いの真っ只中におかれてきた。国家も、国旗も、国体も無視し知識を詰め込み、目的なき生産性をマスターし、いま、彼らが、日本リードしている。不幸にも、彼ら自身にその意識がないのである。だからこそ、戦後の教育の本質を正確に把握する必要がある。日本の歴史、文化伝統が、決定的に破壊されている。大震災を機に、よみがえった『やまとごころ』を自覚的に教育に復活させなければならない。
2012年1月21日土曜日
あきつ新党の活動の資金の調達
来年の参議院議員選挙では、全国区で戦えるようにします。全国47都道府県で、立候補者を立てる予定です。一人1000万円は、かかります。前回の、東京都での経験でわかりました。あきつ新党としては、40歳以下を原則として公認する予定です。党首が65歳となるが、他は40歳以下のかたに集中させます。本日から、予定者の選定、発見に努めたいと思います。約5億円の資金が最低必要になります。遵法は、当然です。よろしく、ご協力お願い致します。まずは、電話一報ください。090-2281-1544です。現状では、ほぼ、資金はありません。挑戦を始めます。日本を信じてすすめたいと思います。あきつ新党の政治活動費はすべて党費で賄うことを前提としています。情報がここまで、開示された時代です。四段階で、すすめます。一人以上の、国会議員を有すること。地方議員の15パーセントを獲得すること。政権与党の一政党となること。の順です。一党で政権を取るのは、最終段階です。四段階目は、現選挙制度では困難度が大きいと思っています。社会が多様化する中で、日本国として重要なことを優先するとすれば弟三段階でそれなりの目標を達成できると考えます。日本の歴史と文化伝統を守る。です。具体的には靖国神社に参拝する総理の選択です。さらに軍隊の創設。小さな国、困窮の国の人々の飢餓からの解放の優先です。この3つをまずなす政党が、あきつ新党です。多くの困難があろうとも、恵まれた国日本の使命だと考えます。
2012年1月20日金曜日
電力を監督する経済産業省
原子力発電の信頼性が問われている。徹底した開示が『再開するか、はたまた全面的に中止するか』の最低条件である。開示をするだけが重要なのではなく、国民が充分に認識し納得することが重要である。今回電気料金が上がる方向であるが、いいことである。ただ、もっと情報を、わかりやすく開示すべきである。弟三者による、しかも複数の組織に開示を支援させる方策があってしかるべきである。税金を投入してあえて批判的、情報開示に、務めるべきである。批判的、科学的でなければ、国民の理解は進まない。現段階の情報開示、国民認識では原子力発電の再開よりは電力の値上げのほうが良い。原子力発電の再開は慎むべきである。また、、東電の企業責任、株主責任の追求ならびに実行は不十分である。国の責任の反省も不十分である。行政の責任の追求も不十分である。一方、国民は電力の値上げを我慢しなければならない。して頂きたい。電力、エネルギーも、もはや生活の生命線ではない。節約をすればいい。そして、日本には複数の電力会社がある。いずれもが、発送分離をすれば、競争が始まる。『関西電力配送を通じて四国発電の電気を購入する大阪アルミニュームが、ある。』という風に。10の送電会社が競い、10の発電会社が競う。発電も、送電も、重要産業として地域が育てて、相互に競争していくのがいい。独占を許すがゆえに、政治的、行政的利権が生まれる。そして、科学的なことが進まない。社会科学的経営体質も育ちようがない。ただ、原子力に関する研究は全く別次元である。もっとも、重要なことは、原子力爆弾である。日本の防衛中枢は少なくとも、製造能力は既に研究済みであると信じるが、言いかえれば、いざとなれば、最低で4カ月以内に造ることができると信じているが、このことを、国民認識に落とし込むことが、あきつ新党としては重要と考える。武装準備度とでも言える。エネルギー問題も、防衛問題も、国防の問題として、国民に認識して頂くことが、重要とかんがえる。そしてその判断のもととなる、国家意識、愛国心の醸育が重要と考える。
2012年1月14日土曜日
民主社会主義的な傾向の本質
増税のお金が、医療福祉に使われる、人の命を盾にすれば、何だって通る当然である。自民党は真正面からそのことに反対だと臨んでいない。大きな政府派の自民党政治家もたくさんいる。彼らは本来的な増税反対派ではない。小さな政府の考えはなかなか支持を得ることができない。いまや日本人の寿命は90歳を目指さんとしている。さらに医療技術は進んでいる。老人は速く死ね。などと聞こえようものならば政党も、政治家も、一瞬で滅びるであろう。しかし人は死ぬ。この、大問題に政治は取り組まなければならない。75歳からの医療費は全体の半分である。殺さない、死なせないことに、全力をあげれば、85歳以上の医療費が半分になる日は近い。まさに医療技術の進歩で天寿100歳時代がもうすぐである。さて、意味があるのか?植物人間がどんどん増えるとすればどのような倫理観を持つべきか?まさに、人類の課題がほんのそこまで来ている。政治はこの非情なる問題にも取り組まなければならない。おかねがいくらでもあるならば、そして、国がそれでも、栄えるならば、現政権のすすめる民主社会主義的な方針も許されるであろう。いま、25年の低迷をつづける日本の方向は、法人税の減税をすすめ、医療福祉の国家予算を削減することであろう。天寿を全うする技術開発が待たれる。それは医療ではない。いまのままの医療費体系では、国民は医療福祉産業の餌食となると思える。
2012年1月13日金曜日
我々の責任
日本国の国民がすべて同じになるわけではない。我々がまず方向をさだめればいい。あきつ新党は国民の15パーセントの支持を目標とする。そして、一番は靖国神社に参拝するかしないかを最大の指針とする政治行動をとる。時の総理が靖国神社に参拝しないならばまず野党として行動する。参拝するならば与党として行動する。なぜか?いかなる人であれ日本を守るために戦い亡くなった人をしっかり祭っている神社を参拝するかしないかは、日本の歴史文化伝統をなににもまして尊重するかしないかの指標であると考えるゆえである。多くの事柄においてあきつ新党は基本の方針をもつ、たとえば民主主義、自由主義、資本主義をとるが、もっとも譲れないことは天皇を中心、象徴とする日本の歴史文化伝統の護持である。ゆえに他の部分で不一致があろうとも譲歩できるが、この一点は譲歩しない党が、あきつ新党である。先の戦争で中国や朝鮮に迷惑をかけた責任者が祭られているから参拝するとか、参拝しないとかは、欺瞞である。外交の取引に靖国神社を判定につかわれているのであって、その行為に屈しているのである。いいかえれば、日本の歴史文化伝統を否定せよといっているのである。参拝しない真の理由は、ほとんど経済的理由を考慮して屈しているのである。われわれは、そのような総理を選択する政党とは組みしない。真の反省がないとかという論理にくみするものも同様である。さきの戦争に関する日本国の反省がそのことによってはかるような国とは付き合わない方針であればいい。そのことに、そろそろ結論をだすときである。『たえがたきをたえ、しのびがたきをしのんで』ここまで頑張ってきたが、たえすぎて、しのびすぎて、国民が自信と誇りを失うようでは本末転倒である。わずか15パーセントであろうともこのことで日本国の歴史文化伝統を守りきれると信じるるあきつ新党である。まず、第一歩がこれである。軍隊を持つ、憲法を変える。次にこれらをなさねばならない。そして、世界への貢献である。特に、小さな国、あたらしく独立した国、国民が飢えに苦しんでいる国、これらの国への全力での無私の貢献が一番である。幸いにも日本は豊かであるから、また歴史にささえられ発展しているから、これらの国の繁栄に貢献するのは世界、地球、自然への感謝の行動である。あきつ新党はこれを実行する。このように心を定めればおのずと発展はおこるものである。
2012年1月12日木曜日
中途半端な総理はいらない。
伊勢神宮には参拝するが靖国神社には参拝しない。このような中途半端な総理は要らない。日本をリードできるはずがない。あきつ新党はそのように考える。もう、先の戦争の必要以上の誤った反省は要らない。2045年、戦後100年を目指して自信と誇りに溢れる国家、国民になろうではないか!今から始めても、33年しかない。やっと33歳以下の人々が自信と誇りに溢れた国民となるまでである。すべての国民がそうなるには100年かかる。それでも、なさねばならない。昨年の1000年に一回と言われる大震災を機にわれわれは真の自己に気付いたのかもしれない。もう迷うことはない。ときあたかも、世界各国は同時変化期にある。中国、インド、アラブ、欧米、そして、ロシア、ブラジルがあらたな文化圏を構成しつつある。華僑経済圏、ユダヤ経済圏、印僑経済圏もある。日本はそのいずれでもない。いまこそ、日本が世界に役立つ時である。またそうでなければ、日本の繁栄はない。自信と誇りのある日本を再生させる好機である。今日の混迷の原因はあきらかである。さあ、急ごう。日本の歴史文化伝統に根ざした国を出現させようではないか。
民族とは、
民族とは一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体と、なっていて、言語、宗教、生活様式などが文化的特徴の中心にされている。さて、日本民族は、ほぼ一国に集中している。意外と一民族複数国家、あるいは、一国家複数民族が近代国家においては多いものである。そしてほぼ人種が一種である。これまた一民族複数人種もあるのである。さらにほぼ神社・神道を受け入れている。これまた、一宗教複数国家、一宗教ふくすう民族もおおいのである。日本語を読み書きする。これもしかりで、一言語複数国家、一言語複数民族も多い。一方1億3000万人という一民族としては人口が多いほうである。このように日本は珍しい民族であり、まれな、近代国家であるといえる。ほぼ、一民族、一国家、一言語、一宗教、一地域である。しかも神話の時代から2600年の継続である。われわれはもっとこの事実を慎重に扱わねばならない。地勢的に、ユーラシア大陸の端っこの海洋にへばりついている。温帯モンスーン気候で人という生物にとって極めて恵まれた環境にある。適度な季節の変化は対応の技術を必要とし、民族を鍛えた。海の面積を入れれば極めて広大な国土である。また海のおかげか、民族と民族の壮絶な戦争を経験していない。いわば部族の戦いレベルであって、相互絶滅の戦いはなかった。この環境下で育まれた民族性、歴史文化伝統は、まさに世界に例を見ない。主要な近代国家を比べてみれば明らかである。ロシア、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、イタリア、中国、朝鮮、インド、ブラジル、カナダ、スペイン、メキシコ、タイ、などなど比べるとよくわかる。この日本は、わずか140年ばかり前には近代科学はなかったが、ただちに習得した、しかも全国民が習得するという奇跡的な習得である。おもえば豊臣秀吉は名もなき出自である。400年前においても、天皇の下では皆が平等な機会があたえられていたといえる。勤勉、寛容、礼儀、清潔、は良き伝統であった。1945年、以後の教育を100パーセント見直さなければならない。わずか70年ではあるが、日本をふたたび繁栄に導かんと欲するならば100パーセント見直す覚悟が必要である。民主主義、自由主義、資本主義を単に否定するのではなく、また肯定するのではなく、2600年の成長の歴史文化伝統にただしく照らし合わせて今後の日本の方向を決めていかねばならない。日本が自信と誇りを持って世界に出ていけばいいだけである。そろそろ、先の戦争の反省を完了させようではないか。いつまでも、自己を否定し続ける必要はない。そのことがかえって世界を、隣国を誤った方向に進めるやもしれない。あきつ新党は民族に自信と誇りを持って世界に臨むものである。
2012年1月11日水曜日
国軍について
あきつ新党は、自衛隊を改め、国の軍隊とします。今まさに、富国強兵を図るべきである。
戦後70年、そろそろ戦後100年の準備にかからねばならない。1868年に近代国家として日本はデビューした。キリスト教を支えとして西洋が、1500年ごろに日本にやってきたが、1600年ごろ徳川幕府は、新しい思想宗教、技術を嫌った。100年におよぶ戦国の不幸を克服すべく内政において築城を禁じた。また新しい技術の政府独占を図ると共に、国民一般の外部との接点をたつことによる世界(国内)統一を図った。いらい270年太平が続くが、欧米の科学技術の驚異的発展による世界支配(帝国主義)の時代を見て、日本は天皇を軸に、国の建て直しを行い、属国にならぬ道を選んだ。そして成功した。国家民主主義、国家自由主義、国家資本主義の本質を見抜き実行した。この三つに成功した国と国がぶつかり覇権を争うことになり、日本はチーム編成(イタリア、ドイツと組む)を間違うと共に、まだ至らない国力に故に、アメリカに負けた。その後、40年近く必死に国力を回復し随分アメリカに近づいた(1985年)。共産主義の危険性に気づいたアメリカは日本を仲間にしソ連、中国、東欧の連合と戦ったので、日本を強化せざるを得なかったことも幸運であった。天皇を有する日本の特性をそれなりに認め、人種民族を超えた連携の可能性をアメリカは確信した。その必死の戦後40年が1985に実ったといえる。ここまでは、実は明治維新の継続といえる。なぜならば、その推進母体といえるリーダー、指導階級はほぼ明治維新の精神の持ち主であった。いいかえれば、戦前の価値観を充分理解した者達であった。 しかるに、その後の者達は国を考えることができない。佐藤栄作までかもしれない。宮沢喜一以後は明らかにだめである。優秀で人物はできていたのか知れないが、やはり時代の子供であったのかもしれない。国士でないのである。経営者に過ぎない。 国家、民族、を担えない者が、勢力均衡の中からうまく泳ぎ総理になった。その以後は、ことごとく均衡総理である。あるいは派閥の、あるいは政党の均衡総理である。だから、靖国神社におまいりすることができない。 1868年から、1945年まで、77年。日本は学びに学び、唯一欧白人以外の人種民族として米列強に並ばんとした。天皇を軸とする2000年の歴史文化伝統のちからである。このことの意味をわからぬものが、国を引っ張っているから国としては栄えない。個人や企業は栄えるものは栄え、栄えないものは栄えない。だが、国は衰える。 いま、この77年を前期維新として捉える。その後の1945年以後1985年までの40年を後期維新と捉える。すなわち昭和天皇が厳然とおられた時代である。そのようにとらえたならば、失われた20年の理解はできる。民主主義、自由主義、資本主義のみを信奉したこの20年、国家がさかえる道理が無い。そして平成23年。この大震災で、示された平成天皇の御心と国民の一体性の確認、敗戦の傷を完全と振り切り、日本の歴史文化伝統を信じ改めて進む時である。日本国の歴史文化伝統のうえに、民主主義と、自由主義と、資本主義を乗せて、あきつ新党は進めようと思う。国家の意識はこの国を守ろうとすることと同体である。だから、自衛隊を国の軍隊とするものである。
戦後70年、そろそろ戦後100年の準備にかからねばならない。1868年に近代国家として日本はデビューした。キリスト教を支えとして西洋が、1500年ごろに日本にやってきたが、1600年ごろ徳川幕府は、新しい思想宗教、技術を嫌った。100年におよぶ戦国の不幸を克服すべく内政において築城を禁じた。また新しい技術の政府独占を図ると共に、国民一般の外部との接点をたつことによる世界(国内)統一を図った。いらい270年太平が続くが、欧米の科学技術の驚異的発展による世界支配(帝国主義)の時代を見て、日本は天皇を軸に、国の建て直しを行い、属国にならぬ道を選んだ。そして成功した。国家民主主義、国家自由主義、国家資本主義の本質を見抜き実行した。この三つに成功した国と国がぶつかり覇権を争うことになり、日本はチーム編成(イタリア、ドイツと組む)を間違うと共に、まだ至らない国力に故に、アメリカに負けた。その後、40年近く必死に国力を回復し随分アメリカに近づいた(1985年)。共産主義の危険性に気づいたアメリカは日本を仲間にしソ連、中国、東欧の連合と戦ったので、日本を強化せざるを得なかったことも幸運であった。天皇を有する日本の特性をそれなりに認め、人種民族を超えた連携の可能性をアメリカは確信した。その必死の戦後40年が1985に実ったといえる。ここまでは、実は明治維新の継続といえる。なぜならば、その推進母体といえるリーダー、指導階級はほぼ明治維新の精神の持ち主であった。いいかえれば、戦前の価値観を充分理解した者達であった。 しかるに、その後の者達は国を考えることができない。佐藤栄作までかもしれない。宮沢喜一以後は明らかにだめである。優秀で人物はできていたのか知れないが、やはり時代の子供であったのかもしれない。国士でないのである。経営者に過ぎない。 国家、民族、を担えない者が、勢力均衡の中からうまく泳ぎ総理になった。その以後は、ことごとく均衡総理である。あるいは派閥の、あるいは政党の均衡総理である。だから、靖国神社におまいりすることができない。 1868年から、1945年まで、77年。日本は学びに学び、唯一欧白人以外の人種民族として米列強に並ばんとした。天皇を軸とする2000年の歴史文化伝統のちからである。このことの意味をわからぬものが、国を引っ張っているから国としては栄えない。個人や企業は栄えるものは栄え、栄えないものは栄えない。だが、国は衰える。 いま、この77年を前期維新として捉える。その後の1945年以後1985年までの40年を後期維新と捉える。すなわち昭和天皇が厳然とおられた時代である。そのようにとらえたならば、失われた20年の理解はできる。民主主義、自由主義、資本主義のみを信奉したこの20年、国家がさかえる道理が無い。そして平成23年。この大震災で、示された平成天皇の御心と国民の一体性の確認、敗戦の傷を完全と振り切り、日本の歴史文化伝統を信じ改めて進む時である。日本国の歴史文化伝統のうえに、民主主義と、自由主義と、資本主義を乗せて、あきつ新党は進めようと思う。国家の意識はこの国を守ろうとすることと同体である。だから、自衛隊を国の軍隊とするものである。
2012年1月9日月曜日
お墓参りをするということ。
あるいは一代。あるいは二代。さらに数代と重ねる先祖を祭ろうという国民の国、日本が、世界一栄える国になるのは当然である。日本にたくさんの、無数のといえる大小の古墳があるが今もあるが、これもまた先祖を大切にする現れであろう。日本という国名を使う以前から単に死者を祭るというだけでなく、先祖代々を大切にする考えがあったに違いない。幸いにも豊かな瑞穂の国に生まれた先祖たちはそれに見合った文化伝統を重ね日本を成長させてきた。その本質は先祖の崇拝、尊敬であろう。言い換えれば父母の崇拝、尊敬であろう。日本は2千数百年という連綿とした歴史を持っている。2千数百年の年月は人類の数えうる時間の最長であるといっても過言でない。科学が進み4000年、8000年の遺跡が多々見られるが、今まさに生きていてそのご先祖であるとの実感を持ちながらの、この地において2000年の時間を数えうることは、日本が本当に恵まれている証左ではないだろうか?万世一系の言葉はひとり皇室をさすのみなず、日本の文化伝統をもさすもであろう。いやそのように考えたい。
終戦に終えた、先の戦い、あえて敗戦の言葉を嫌ったわれわれの先輩は、この2千数百年歴史を切断することを嫌ったのであろう。戦争に負けるとは国を滅ぼすことであって、それだけはなんとしても避けたいとの悲痛な思いであろう。ありがたい配慮であった。敗戦の文字を使わず、終戦の言葉をえらんだ力は、文化伝統の知恵である。文化伝統の力である。
この70年、多くの人々の努力で日本の文化伝統は何とか守り通すことができた。さまざまな思想哲学が、終戦とともに怒涛のごとく押し寄せたが天皇を中心とする日本の文化伝統を守り通した。まさにしのびがたきをしのばれて、守りとうされもされたかとご推察しかない。そして改めて崇拝、尊敬、の対象に厳然とあられ、国民の、国の象徴を超えて維新なったかと思う。そして、日本の文化伝統の本当の意味をまさかこの大震災で確認することが出来ようとは誰も思わなかったであろう。いたずらに、吹聴するにはあまりにもおおくの犠牲であるがゆえにはばかられることではあるが、絆や家族という言葉が、あらためて浮かび上がったことはありがたいことである。
いまだ、人類は国をこえる統治の概念や実態を持ちえていない。70億人がすべて国を通じて統治があると思っている。いま、日本国は25年の下降線を、歴史始まって初めてかもしれない長い下降線をたどっているが、いまこそ改めて国を考えるときではないか。
あきつ新党は、民主主義を超え、資本主義を超え、自由主義を超えて、日本の文化伝統の上に、世界に輝く日本を構築し世界に貢献せんとおもう。
終戦に終えた、先の戦い、あえて敗戦の言葉を嫌ったわれわれの先輩は、この2千数百年歴史を切断することを嫌ったのであろう。戦争に負けるとは国を滅ぼすことであって、それだけはなんとしても避けたいとの悲痛な思いであろう。ありがたい配慮であった。敗戦の文字を使わず、終戦の言葉をえらんだ力は、文化伝統の知恵である。文化伝統の力である。
この70年、多くの人々の努力で日本の文化伝統は何とか守り通すことができた。さまざまな思想哲学が、終戦とともに怒涛のごとく押し寄せたが天皇を中心とする日本の文化伝統を守り通した。まさにしのびがたきをしのばれて、守りとうされもされたかとご推察しかない。そして改めて崇拝、尊敬、の対象に厳然とあられ、国民の、国の象徴を超えて維新なったかと思う。そして、日本の文化伝統の本当の意味をまさかこの大震災で確認することが出来ようとは誰も思わなかったであろう。いたずらに、吹聴するにはあまりにもおおくの犠牲であるがゆえにはばかられることではあるが、絆や家族という言葉が、あらためて浮かび上がったことはありがたいことである。
いまだ、人類は国をこえる統治の概念や実態を持ちえていない。70億人がすべて国を通じて統治があると思っている。いま、日本国は25年の下降線を、歴史始まって初めてかもしれない長い下降線をたどっているが、いまこそ改めて国を考えるときではないか。
あきつ新党は、民主主義を超え、資本主義を超え、自由主義を超えて、日本の文化伝統の上に、世界に輝く日本を構築し世界に貢献せんとおもう。
危機を前にして
昨年3月11日の大震災は日本に危機をもたらした。そしてまた、危機を乗り越える力が日本には充分備わっていることも気づかせてくれた。危機を乗り越える力は、民主主義でも、自由主義でも、資本主義でもなく、伝統的な絆という言葉に代表されるものだった。
日本は成長をし続けてきた。2000年もの成長を続けてきたが、1985年以後成長にブレーキがかかり、歴史上の危機に差し掛かっていた。25年間も下り続けるなどというのは、日本ではまれなことである。そして反転の兆しが見えない。
このままでは、日本はもっと危なくなる、そんなときに更なる危機が日本を襲った。1000年に一度という天災が厳しく襲い掛かった。津波に襲われた地域を見れば文明にたいする自然の大きさを知らされる。
しかし、また、人間の知恵のすばらしさも発見できる。多くの大きな神社や、仏閣は、実に津波への対応をなしているかのごとく凛として存在している。建立をした場所が、1000年、2000年の経験を生かしているとしか思えない。
2000年の継続する成長を25年も止めたものは何か?このことを踏まえなければ再び成長路線に乗せることはできまい。
それは、日本は天皇を中心と戴くことで、学び来た文化伝統の結果として今日の繁栄があるということだ。
繁栄をもたらすこと、また継続するにおいて日本は天皇を持った。いや、天皇がそれを支えたとしか思えない。
真実はその双方の一体化の中にあったのだろう。
1000年に一度という大天災に遭遇しその危機を乗り越えるのに伝統的価値観が、力となった。
民主主義、自由主義、資本主義の考えは、日本が仏教を学び、儒教をまなび、来たように、充分学ぶのがいい。
しかし、先祖を大切にする、父母を大切にする、生きとしいけるものを、在りとし在りけるものをことごとく大切にする、その明確な現らわれである天皇をしっかりと護持する考えが重要なのではあるまいか。
日本の政治がそのことを高らかに言祝ぐことができなくなったなら、日本の繁栄に影が差すのは自然である。
思えば、日本は仏教を充分学び自分のものとした、儒教も然りである。いま、日本ほど民主主義、自由主義、資本主義を学び実践している国は無いといえるのでは在るまいか。
天皇を戴くが故の、ゆとりや自信がなせる寛容と解せられる。
奇跡のごとく恵まれた大和に生まれたこの国は天皇を戴くことで繁栄してた。
明治維新も、天皇を振り返ることで成し遂げられ、終戦も天皇が行い復興をひらいた、いま大天災にわれわれは日本の真のちからの源に気づいたのである。
復興の自然にわきあがる力は、日本の文化伝統の力である。
日本の今後の繁栄も、数千年に及ぶこの地の文化伝統に根ざさなければ不可能である。
靖国神社の問題も、アメリカ、中国の問題も、若者の問題も、家族のことも、国民のありようも、ことごとくこの一点に帰結する問題である。
あきつ新党は、
日本の天皇を戴く文化伝統を護持発展させ、仏教、儒教、民主主義、自由主義、資本主義をしっかりとまなび、国政に取り組むものです。
日本は成長をし続けてきた。2000年もの成長を続けてきたが、1985年以後成長にブレーキがかかり、歴史上の危機に差し掛かっていた。25年間も下り続けるなどというのは、日本ではまれなことである。そして反転の兆しが見えない。
このままでは、日本はもっと危なくなる、そんなときに更なる危機が日本を襲った。1000年に一度という天災が厳しく襲い掛かった。津波に襲われた地域を見れば文明にたいする自然の大きさを知らされる。
しかし、また、人間の知恵のすばらしさも発見できる。多くの大きな神社や、仏閣は、実に津波への対応をなしているかのごとく凛として存在している。建立をした場所が、1000年、2000年の経験を生かしているとしか思えない。
2000年の継続する成長を25年も止めたものは何か?このことを踏まえなければ再び成長路線に乗せることはできまい。
それは、日本は天皇を中心と戴くことで、学び来た文化伝統の結果として今日の繁栄があるということだ。
繁栄をもたらすこと、また継続するにおいて日本は天皇を持った。いや、天皇がそれを支えたとしか思えない。
真実はその双方の一体化の中にあったのだろう。
1000年に一度という大天災に遭遇しその危機を乗り越えるのに伝統的価値観が、力となった。
民主主義、自由主義、資本主義の考えは、日本が仏教を学び、儒教をまなび、来たように、充分学ぶのがいい。
しかし、先祖を大切にする、父母を大切にする、生きとしいけるものを、在りとし在りけるものをことごとく大切にする、その明確な現らわれである天皇をしっかりと護持する考えが重要なのではあるまいか。
日本の政治がそのことを高らかに言祝ぐことができなくなったなら、日本の繁栄に影が差すのは自然である。
思えば、日本は仏教を充分学び自分のものとした、儒教も然りである。いま、日本ほど民主主義、自由主義、資本主義を学び実践している国は無いといえるのでは在るまいか。
天皇を戴くが故の、ゆとりや自信がなせる寛容と解せられる。
奇跡のごとく恵まれた大和に生まれたこの国は天皇を戴くことで繁栄してた。
明治維新も、天皇を振り返ることで成し遂げられ、終戦も天皇が行い復興をひらいた、いま大天災にわれわれは日本の真のちからの源に気づいたのである。
復興の自然にわきあがる力は、日本の文化伝統の力である。
日本の今後の繁栄も、数千年に及ぶこの地の文化伝統に根ざさなければ不可能である。
靖国神社の問題も、アメリカ、中国の問題も、若者の問題も、家族のことも、国民のありようも、ことごとくこの一点に帰結する問題である。
あきつ新党は、
日本の天皇を戴く文化伝統を護持発展させ、仏教、儒教、民主主義、自由主義、資本主義をしっかりとまなび、国政に取り組むものです。
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