1877年6月に、エドワード・S・モースというニューイングランド出身のアメリカ人、動物学、考古学、人類学のお雇い学者が、東京大学にやってくる。守屋毅先生の、紹介によると、日本の文化財行政を導いたフェノロサはモースの誘いで日本に来たそうです。また、モースは北海道から鹿児島まで旅をし、考古学史上の金字塔である大森貝塚の発見と発掘をした人物です。
その、モースが、明治維新の10年後の写真を、たくさん取っている。1983年にカラー化され、『百年前の日本・モース・コレクション写真編』として出版され、2005年に普及版が発行されている。
そこには、江戸時代の名残が、坂の上の雲の明治が、偽りなく写っている。たくさん写っている、人類学者の目でもある。モースは日本を大好きになって、フェノロサを呼んだものとおもわれる(守屋毅先生記)。ぜひ一見、一読ください。
モースのことを書いたのは、江戸時代、戦争無き、270年の証拠写真を見て、『AKITSUISM』の話を始めたいと思ったからです。
江戸時代は、海外との交流を、政府が一手に握り、余人には触れさせなかった270年といえるそうです。ですから最近の歴史学では、『鎖国』という表現を避けているほどです。
江戸幕府は、刀狩につづく、武装解除、築城制限、道路、橋などのインフラ整備制限、さらには、新製品開発許可制ともいえそうな、戦いを誘発しそうな様々な技術開発を制限する行政をします。いわば、科学悪役論です。科学が原爆を生むのだから、科学を制限する姿勢です。しかしながら、読み書きを奨励しています。だから、文化や、道徳、哲学、は、発展しています。芸事、粋、俳諧、など、微妙なこころのうごきを、からだの動きとあわせるような、内向性文化も、発展します。モラル、節度、行儀、しつけ、などなど、『治める』、科学は、進んだようです。前述のモースは、その高度な社会モラルに、驚嘆しています。
なにしろ、直近の時代の、270年におよぶ戦争なき時代の最終コーナーを見たわけです。それは、武士といわれる高級行政官僚の支配、運営する時代の成熟したものです。その間、ヨーロッパは、戦争に継ぐ戦争です。アメリカは、奴隷による発展です。中国は周辺国との戦争に明け暮れイギリスが来るまで、わが世の春です。それに比べれば、人類学者であるモームにとって、日本は新鮮で、学問としても興味そそる国であったと思います。モームの残した写真集をみると現代のわれわれでも、驚くべき新鮮さがあります。
国が美しい。村が美しい。人が美しい。自然が整備されている。
1600年から、2000年までの400年の世界の歴史は、1メートル四方の紙に、米粒ぐらいの字で書けば、一望できます。主要国、20箇国ぐらいを、戦争、内乱・革命、条約、統治者で、を色で塗って眺めると、よくわかってきます。
直近の100年を見れば、1904年の日露戦争と、1905年のロシア革命が、世界の時代を分けています。その予兆は、1898年の、レーニンによるロシア社会主義労働党の結成にあります。
以後、世界の深海流は、力なきものの団結(共産主義)と、力あるもの連合(自由主義資本主義)、の戦いになります。力なきものの団結は、一定の力を蓄えると、おのずとその内部頂点は階層化し官僚化し自ずからの理論に呪われたがごとくに変質し、独裁的な姿となり矛盾は、武力による内部、外部へ支配となるます。万人の自主性を重んじることによってのみ成功する知的情報革命を必然的になす事ができませんでした。
力あるものの連合は、独裁に勝利するまで対抗的思想をもちながらも、連合内競争を行うことができ自主性を重んじることによってのみ成功する知的情報革命に成功しました。日本は、後半50年そのグループに、前半は、発展途上国的切磋琢磨時代でした。
この、400年、戦争なき270年、直近100年、前項で述べた、電気製品、電気機器、自動生産の50年を経た今日。かけがえの無い、この日本はいかにあるべきか?
あきつ新党は、『AKITSUIZUM』『あきつ主義』を掲げて新しい政治に挑戦します。

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